弘前城と最勝院五重塔 - 津軽藩の栄華

津軽十万石の城下町として栄えた弘前市は古都の風情を残す歴史と文化の街だ。400年前に築かれた弘前城が市の中心部の公園にあり、五つの城門、三つの櫓などが藩政時代の栄華をとどめている。国の史跡であり、重要文化財ともなっている名城である。

築城と同時に弘前城を守るために、城の南西に長勝寺、南東には最勝院五重塔、北西に誓願寺と、お城を守り囲むように寺院などが建てられたという。武家屋敷、商家も城の周囲に軒を連ねており、城下町の風情のあるところである。
そのなかで最勝院五重塔は、東北一の美塔ともいわれており、これも国指定重要文化財となっている。津輕統一の際、戦死したすべての人々を敵、味方の区別なく供養するため、350年前に建造されたという美しい塔だ。


8月初旬、弘前城を観るために、はじめてここを訪れた。

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安曇野 清流とわさびとそばの里

長野県の大町から松本にいたる細長い盆地一帯を安曇野と呼んでいる。
北アルプスの山々から湧き出た清流によってできた複数の扇状地が見事に重なり合ったところだ。この地方には豊かな雪解け水の川や湿地が至るところに見られ、その澄みきった水は名水百選にも選ばれている。そばやリンゴなどの果樹栽培に最適な地域であり、ニジマス・信州サーモンの養殖やワサビの栽培も、この地域のように綺麗な水でなければできない。
安曇野には、いつまでも残しておきたいかけがえのない自然がある。


犀川をはじめとして、この地方を流れる川は多彩だ。梓川
-犀川、高瀬川、中房川-穂高川、鳥川、そして黒沢川から万水川、蓼川・・・など。これら清流に恵まれた安曇野の自然は動物や植物の宝庫でもある。扇状地端部にはわさび田湧水群があり、蓼川と万水川の合流地点付近に見られる風景は特に印象的だ。
一帯に広がるワサビ農場、清流に群生する沈水植物、ゆっくりと回る三連水車など、象徴的なその風情はなんとも言えず素晴しい。

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庄内藩・致道の風情を残す鶴岡

笹川流れを車窓に見ながら、羽越本線を下って鶴岡に出た。
新潟から2時間10分、山形県庄内平野の暑い夏の日であった。

背後には羽黒山(419m)と湯殿山(1500)そして月山(1980)。修験者の山岳道場として歴史を刻んできた出羽三山が、庄内地方に広がっている。三山は鶴岡市に属し、今でも多くの修験者や参拝者を集めていると云う。その出羽三山を遠望し日本海をのぞむ鶴岡は、かつて庄内藩14万石の城下町として栄えたところだ。藩校致道館や城址公園など、当時の風情が今も色濃く残っている町である。
今回、短い時間ではあったが、致道に切磋琢磨してきた先人たちの歴史の一端に触れる機会があり、幸いであった。

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青森ねぶた祭 復興への日本のエネルギー

今年、青森ねぶた祭を初めて観覧した。日本の伝統の美を代表する祭りであり、昭和55年国指定の重要無形民俗文化財である。 勇壮華麗な”ねぶた”が ハネト(跳人)、囃子と一体となって、みちのくの短い夏を焦がすエネルギッシュな祭りだ。
8月2日(火)開幕から7日(日)夜花火大会のフィナーレまで青森市で行なわれたが、最終日の一日をたっぷりと見学することができた。 日本人の復興への切なる願いと闘志、不屈のエネルギーに感動せずにはいられなかった。

午後1時からの昼間運行では、大型ねぶた15台と子供ねぶた1台が繰り出し、12万人でにぎわった。
夜は7時すぎから、青森港の新中央埠頭と青い海公園前で、大型ねぶた7台が海上を運行し、約8千発の花火が行く夏を惜しむように競演。東日本大震災からの復興と鎮魂の祈りを込め、大勢の観客を酔わせた。2011受賞ねぶた5台など、制作者によるねぶたの競演が見事であった。

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新潟は きらきらうえつで 笹川流れ

新潟市を訪ね、きらきらうえつ号で笹川流れを楽しみながら、鶴岡に向かった。

新潟市はその中心部を信濃川が貫流している。川にかかる重文の萬代橋は市のシンボルであり、新潟駅から歩いてすぐのところだ。橋の側面の御影石と六つのアーチが美しい造りとなっている。
その下流に柳都大橋があり、橋の手前北の方は万代島といわれ、県立美術館、朱鷺メッセ、佐渡汽船乗り場などがある。朱鷺メッセ31階の「ばかうけ展望室」は日本海側ーの高さを誇り、新潟市と日本海が360度展望できる。この日快晴でないのが、ちょっと残念であった。

続いて、新潟から鶴岡に向かう きらきら うえつ号 は車窓からの景色が良く、笹川流れにそびえ立つ岩の数々が印象的であった。
笹川流れは延長11kmの景観を誇っており、国の名勝天然記念物に指定されている。自然が造り出した雄大な造形、美しさを存分に鑑賞できるところだ。

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東京へ旅立った眞之や子規達の青春群像

- 青雲の志を抱いて故郷を離れ、東京へ旅立った
   若者たち -

若者たちは明治という時代の坂道を全力で駆けのぼっていった。
- 青空に浮かぶ坂の上の雲は、何時の時代でも
   若者の心を駆り立てる 大いなるのぞみだ -


秋山好古と眞之や正岡子規達の東京での青春は、130年後の今の時代でも生き生きとしており、その輝きが失われることはない。  三人を囲む青春群像がたどった軌跡はあまりにも大きかった。巨大な東京のまんなか
で、今も残るその軌跡のほんの一端を、司馬遼太郎に倣って、歩いてみた。

・日露戦争を勝利に導いた 好古と眞之の兄弟、
  そして 近代文学の巨人 正岡子規 -

松山中學に学んだ好古、眞之、子規の三人は、ともに青雲の志を抱きながら相次いで上京した。好古は陸軍士官學校へ、眞之は大学予備門入学から海軍兵學校へ、そして立身出世を夢見た子規も、予備門から東京帝國大學へと進んでいった。

明治という時代を懸命に生きた 三人を取り巻く俊英たちの姿は 今の時代の私たちの目にも 新鮮ですがすがしい。

若者たちが夢を追って生きた 当時の都はすでになく、街の姿も変わり果てた。 しかし彼らは我々の心の中で 今も躍動しており、前をのみ見つめながら歩いた その足跡はあまりにも印象的である。

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草津の魅力 湯畑源泉の迫力

もうもうと湯けむりを上げる湯畑。昔も今も変わらず滾々と熱湯を湧出し続ける  名湯草津の姿  が この源泉湯畑にある。

ゴールデンウイークの 3,4日 は草津行きだった。関越道・渋川伊香保から、約60㌔を走ると、5月の青葉は若く、
空気も澄んですがすがしい。到着してさっそく湯畑に降りて行く。何回来ても、強く引き付けられるところだ。

迫力は湯畑最上部の源泉である。ここは何度見ても、私の目は釘付けにされてしまう。有名な吉宗 「 御汲み上げの湯枠 」 が今も残っており、ひどい傷みにもかかわらず、しっかりと湯源を囲い続けている。
枠は木でできているが、どのように据え付けられ、どう取り替えられてきたのであろうか。

草津温泉資料館で、源泉湯枠の据え付け記録がないか調べたが、そういう本はなかった。資料館の人達にも聞いてみたが、答えられる人も今はいない。
想像するに、何本もの柱を周囲から源泉の真上に向けて斜めに伸ばして櫓を組み、その上から木枠を縄で吊って下ろす。そのようにして据付けられたのではないだろうか。

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戦艦三笠と横須賀

日本民族の誇り 戦艦三笠
今年の元旦は家族で横須賀を訪ね、記念艦「三笠」を見学した。横須賀中央駅から徒歩15分、海岸沿いの三笠公園である。東郷平八郎司令長官が砲火のなかに立って指揮したと云われる最上部の艦橋にも立つことができた。

三笠は日露戦争における連合艦隊の旗艦であり、明治38年(1905年)5月27日の日本海々戦において、ロシアのバルチック艦隊38隻を撃滅する功績をたてて日本の独立と安全を確保し、その後日本が繁栄する基礎をつくった記念すべき戦艦である。
日本海々戦の勝利はアジア諸民族の自覚と独立を促し、世界史の転換期をつくったのであった。この偉功をなしとげた「三笠」を日本民族の誇りとして長く後世に伝えるため、大正15年記念艦としてこの地に据えられたのである。
「三笠」は英国のヴィクトリー、米国のコンスティチューションとともに世界の三大記念艦と言われている。
--横須賀市稲岡町 記念艦 「 三笠 」 財団法人 三笠保存会--

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紅葉と銀杏の東京 湯島と本郷

秋深い東京の紅葉と銀杏---今年も私達の目を楽しませてくれた。
江戸時代からの古き佳き日本の数多い風景の中で、湯島と本郷もその代表例と言えるであろう。

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紅葉と銀杏の東京 今年の昭和記念公園

国営昭和記念公園の秋の深色---今年の東京の秋も美しかった。
この公園は、昭和天皇在位50年を記念して立川基地跡の一部に開設された公園である。最寄り駅はJR青梅線西立川。立川市と昭島市に跨っており面積は148.7haと広大だ。 今年、この公園の秋の色はよかった。

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