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国家と伊勢神宮

          賢所の源流    
      伊勢神宮の公的性格   

                                  -続神宮参拝記-  ’09・10・3 記

皇祖を奉きまつる伊勢の神宮はその起源および沿革から、皇位と国家の根基であり、皇居・宮中三殿の賢所の源流であることがわかる。

また、そこに奉斎されてゐる神鏡は、皇祖が皇孫に親授された八咫鏡であって、天皇が神宮に授けられたものではなく、奉祀せしめられたものであり、これが皇居内に奉安されてゐる宝鏡の御本体である
*1) ことはいふまでもない。
251_3                            皇大神宮御正殿      平成20年7月の早朝
故に、神鏡を奉祀する神宮は皇位継承と不可分の関係にあり、国家・皇位と離るべからざるものとして、その関係が公的であるべきことは、あまりにも自明であった。 

それは、わが国が先の大戦に敗れ、憲法改正を余儀なくされた事態下に於ひても、天皇が国家国民統合の象徴としての法上の地位を保たれる限り、いささかも変はらぬ道理でなければならなかった*2)

しかるにこの道理は、占領軍による「日本国憲法」及び「宗教法人法」によって著しく歪められた*2)

戦後、神宮は公的性格を有すべきであるにもかかはらず、国有であった神殿から土地まで全てが私有とされ、天皇とも国家とも無関係な一私法人として取り扱はれるようになったのである。

この関係を是認する所謂進歩的学者の法解釈はマスコミの同調追随*2)によって、あたかもそれが天下の「定説」なるかの如く、国民に思ひこませることに成功したのである
*2)

                                                 皇大神宮正宮遠望
20080720_3 かうした中、
昭和28年の
第59回式年
遷宮は、
天皇や国の手
を離れた「民営」として、
粛盛大裡に
行はれたが、
これは国史空前の
ことであった。

憲法の「国民主権」や「政教分離」の解釈が歪曲拡大され、
皇室祭祀は「皇室の私的行為」であり憲法にいう「天皇の国事行為」には当たらないとの政府答弁も重ねられた。

そして、伊勢神宮の「法的地位」と「公的性格」は未だ確立されないまま、現在に至ってゐる。


その後政府は、「皇居内に奉安されてゐる形代の宝鏡とともに、その御本体である伊勢の神鏡も」皇室経済法にいふ「皇位とともに伝はるべき由緒ある物」である。
よって、「
神宮にその神鏡の所有権があると解し得ないことは明らかで、神宮がその御本質を無視して、自由に処置するごときのできない特殊な御存在である」といふことを、公式に認めた*1)

また今上天皇即位の大嘗祭では「大嘗祭は皇位が世襲である事に伴ふ重要な皇位継承儀式であって公的性格があり、費用を宮廷費から支出することが相当である」ものと認めた
*3) ,*4) のである。

しかし、伊勢神宮自身の「法的地位」と「公的性格」は依然として確立されてゐない。

皇位の世襲制をとる我が国憲法の下においては、皇祖神を祭り、神器を奉祀する神宮について、国家がその維持管理を可能にする手だてを講ずることは当然のことである*4) 

その意味で、神宮には公的性格がある。「伊勢神宮の公的性格」を、法的に確立する事が肝要であらう。


  

      *1)    池田内閣総理大臣の国会答弁書   昭和 5・10・22  
         
*2)   
日本国家にとって「神宮」とは何か  幡掛正浩 
         
*3)   「即位の礼」の挙行についての政府見解書 平成元・1221 
     *4)   伊勢神宮と公民宗教                 百地 章


                                             
平成19年 6 11

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